F1王者の電撃解雇に学ぶ「システム化された不公平」が組織を破綻させるメカニズム~成功の絶頂から一夜にして失墜したレッドブル代表が残した教訓~
- 吉田 薫

- 7月10日
- 読了時間: 11分

〇昨日起きた"衝撃の幕切れ"
2025年7月9日、F1界に激震が走った。
レッドブル・レーシングのクリスチャン・ホーナー代表が、20年間の在任期間を経て電撃解雇されたのだ。8度のドライバーズチャンピオンシップと6度のコンストラクターズチャンピオンシップを獲得し、レッドブルを世界最強のF1チームに押し上げた立役者が、なぜ一夜にして組織から排除されたのか?
この出来事は、前回のコラムで取り上げた「静かな崩壊」の最終章とも言える展開だった。創業者ディートリッヒ・マテシッツの死後、組織の求心力を失ったレッドブルで、最後の砦とも言えるトップリーダーまでもが失脚する事態となったのである。
しかし、これは決してF1という特殊な世界だけの話ではない。中小企業でも頻繁に見られる「成功したトップが作り出すシステム化された不公平」と、それが組織全体を破綻に導くメカニズムの典型例として、我々は真摯に向き合うべき教訓が詰まっている。
〇20年の成功が生んだ「無謬性の錯覚」
ホーナーの解雇に至る経緯を振り返ると、成功体験が生み出す組織運営の歪みが如実に現れている。2005年にわずか32歳でチームプリンシパルに就任した彼は、その後20年間にわたってレッドブルを勝利に導き続けた。
特に2010年代初頭のセバスチャン・ベッテル4連覇と、2020年代のマックス・フェルスタッペン4連覇は、彼の手腕を証明する輝かしい実績だった。
しかし、この圧倒的な成功こそが、後の失墜の種となった。
長期間にわたる勝利は、トップリーダーに「自分の判断は常に正しい」という無謬性の錯覚を植え付ける。2024年初頭に女性従業員からの不適切行為に関する告発があった際も、ホーナーは自身の潔白を主張し続け、組織内部の調査で一度は清算されたものの、その過程で組織内の亀裂は深まっていった。
特に深刻だったのは、フェルスタッペンの父親であるヨス・フェルスタッペンとの対立だった。ヨスは「ホーナーが残る限りチームは爆発する」と公然と批判し、組織内の政治的対立が表面化した。成功に酔いしれたトップリーダーが、現場の声や批判的な意見を軽視した結果、組織全体の信頼関係が崩壊していったのである。
〇「成功は自分、失敗は現場」──責任転嫁が生んだ組織の内部腐敗
しかし、ホーナー解雇の真の原因は、長年にわたって蓄積された「責任転嫁の構造」にあったと考えられる。2024年から2025年にかけて、レッドブルの競争力は明らかに低下していたが、その責任はすべて現場のドライバーに押し付けられてきた。
最も象徴的なのは、レッドブルのセカンドシートが「毒の聖杯」と呼ばれるようになったことだ。セルジオ・ペレス、リアム・ローソン、そして現在の角田裕毅──誰もがフェルスタッペンとの圧倒的な差に悩まされ、結果として個人の能力不足として切り捨てられてきた。しかし、実際は組織的な問題が根深く存在していた。
角田は昇格当初から「いつも異なるフロアやその他の部品を使っていた」と証言しており、フェルスタッペンと同等の機材を与えられていなかった。さらにチームから「メインの優先事項はマックス」と明確に告げられ、戦略的にも常にフェルスタッペンのサポート役に回ることを強いられていた。
このような状況で、ドライバーの成績不振を「個人の責任」として処理する組織運営こそが、技術陣の大量流出を招いた根本原因だった。現場で働く人々は、構造的な問題が存在するにも関わらず、その責任を個人に押し付ける組織への不信を募らせていったのである。
〇「誰も乗りたがらないシート」が示す組織の終焉
現在のレッドブルで最も深刻なのは、かつて「F1で最も魅力的なシート」と呼ばれたフェルスタッペンの隣の席に、誰も座りたがらなくなったことだ。カルロス・サインツのような一流ドライバーでさえ、レッドブルからのオファーを断る状況が生まれている。
この現象の背景には、個人の努力では決して克服できない構造的な問題が存在する。まず、車両開発の段階から「フェルスタッペン仕様」に特化された設計思想がある。セットアップ、タイヤ選択、戦略立案──すべてがフェルスタッペンの走行スタイルとレースペースを基準に決定され、セカンドドライバーはその「余り物」で戦わざるを得ない。
角田の証言が示すように、機材レベルでの格差も常態化していた。「いつも異なるフロアやその他の部品を使っていた」という状況は、技術的には「実験台」として扱われていたことを意味する。新しいパーツの効果を検証するため、あえて旧仕様を使わされ、データ収集の道具として利用される。この構造下では、どれほど優秀なドライバーでも、フェルスタッペンと対等な条件での競争は不可能だった。
さらに致命的なのは、レース戦略における「犠牲駒」の役割である。角田は明確に「フェルスタッペンのサポート」を命じられ、自身のレース結果よりも、フェルスタッペンの順位向上を優先するよう指示されていた。ピット戦略、タイヤ選択、さらには他車への妨害行為まで、セカンドドライバーの存在意義はフェルスタッペンの勝利に奉仕することに限定されていたのである。
この構造の最も残酷な側面は、こうした不平等な条件にも関わらず、結果責任だけは平等に求められることだ。機材、戦略、チームサポートのすべてで不利な条件を強いられながら、「なぜフェルスタッペンと同等の成績を残せないのか」として個人の能力不足を問われる。ペレス、ローソン、角田──誰もがこの理不尽な構造の犠牲者となり、最終的には「実力不足」として組織から排除されていった。
〇個人の力では変えられない「システム化された不公平」
このレッドブルの事例で最も教訓的なのは、組織の構造的問題が「システム化」されると、どれほど優秀な個人でも状況を変えることが不可能になるという現実である。
まず、情報格差の構造化がある。フェルスタッペンには最新の技術データ、セットアップ情報、戦略オプションがリアルタイムで提供される一方、セカンドドライバーは「必要最小限」の情報しか与えられない。角田が「フェルスタッペンに車について質問しても真実を教えてくれるとは思わない」と述べたのは、この情報格差が個人レベルでも再生産されている証拠だ。
次に、意思決定プロセスからの排除がある。レース戦略、車両開発の方向性、チーム方針──重要な決定はすべてフェルスタッペンの意見を中心に行われ、セカンドドライバーは「実行者」としての役割しか与えられない。自分の走りやすいセッティングを提案しても、「チーム方針」として却下され、結果的に自分に不利な条件での競技を強いられる。
さらに深刻なのは、評価基準の二重構造である。フェルスタッペンの成績は「車の性能とチーム戦略の成果」として評価される一方、セカンドドライバーの成績は「個人の能力の問題」として処理される。同じ失敗でも、フェルスタッペンなら「マシンの問題」「戦略ミス」として組織的改善が図られるが、セカンドドライバーなら「適応力不足」として個人責任とされる。
この構造が恐ろしいのは、被害者自身も最終的にはシステムの論理を内面化してしまうことだ。「自分の実力不足だ」「もっと努力すれば何とかなる」と考え、構造的問題を個人的問題として受け入れてしまう。ペレス、ローソン、角田──誰もが最初は「自分なら違う結果を出せる」と信じてレッドブルに参加したが、システムの力の前では個人の意志や能力は無力だった。

〇中小企業で起こる同様の責任転嫁構造
レッドブルで起きた「システム化された不公平」は、中小企業でも驚くほど類似した形で再現されている。特に創業者や二代目経営者が長期間にわたって成功を収めてきた企業で、同様のメカニズムが作動している。
まず、情報と権限の集中構造がある。重要な顧客情報、財務データ、事業戦略は経営者とその側近だけが把握し、現場の管理職や営業担当者は「実行に必要な分」しか知らされない。この情報格差により、現場が最適な判断を下すことは構造的に不可能になる。レッドブルの角田と同様に、現場の社員は「なぜそのような指示なのか」「他にどのような選択肢があるのか」を知ることなく、与えられた条件で結果を出すことを求められる。
次に、リソース配分の偏在がある。一部の「お気に入り」部門や担当者には潤沢な予算、人員、設備が提供される一方、他の部門は最低限のリソースで同等以上の成果を求められる。製造業では「社長の息のかかった」製品ラインには最新設備と熟練工が投入され、他の製品は旧式設備と経験の浅い作業者で対応させられるケースが典型的だ。
さらに致命的なのは、評価システムの恣意性である。成功した時は「経営方針の正しさ」として経営陣の手柄になり、失敗した時は「現場の執行力不足」として担当者の責任とされる。レッドブルでフェルスタッペンとセカンドドライバーに異なる評価基準が適用されたように、中小企業でも「身内」と「その他」で全く異なる評価ルールが運用される。
この構造下では、どれほど優秀で意欲的な社員でも、組織の中核に食い込むことは不可能だ。情報格差、リソース格差、評価格差という三重の障壁により、「努力しても報われない」状況が構造化される。その結果、有能な人材は他社への転職を選択し、組織には「諦めた人」か「システムに迎合する人」だけが残る。レッドブルの技術陣流出と同様に、競争力の源泉となる人材が競合他社の強化に直結する悪循環が生まれるのである。
〇「システム化された不公平」を防ぐための5つの仕組み
① 「透明性の制度化」──情報格差を構造的に解消する
レッドブルの問題の根源は情報の非対称性にあった。これを防ぐには、重要な情報を意図的に共有する仕組みを制度化する必要がある。具体的には、月次の業績データ、戦略方針、リソース配分の根拠を全管理職に開示する定期会議の設置や、意思決定プロセスの可視化を図る。中小企業では、幹部会議の議事録を部長クラス以上に共有し、重要な判断の背景を説明する場を設けることから始められる。
② 「評価基準の統一と外部監査」──恣意的判断を排除する
同じ組織内で異なる評価基準を適用することを防ぐため、客観的で統一された評価システムを構築する。さらに重要なのは、その運用を外部の第三者が定期的に監査することだ。中小企業では、中小企業診断士や人事コンサルタントによる年次評価システム監査を導入し、「身内びいき」や「恣意的評価」を防ぐ仕組みを作る。
③ 「リソース配分の可視化と説明責任」──不公平を事前に防ぐ
予算、人員、設備などのリソース配分について、その根拠と期待効果を明文化し、定期的に検証する仕組みを設ける。レッドブルで角田が「異なる機材」を使わされた問題を防ぐには、なぜその配分が必要なのか、どのような成果を期待するのかを事前に文書化し、結果を検証することが重要だ。
④ 「逆風意見の制度的保護」──組織内の自浄作用を強化する
経営方針や組織運営に対する批判的意見を安全に表明できる仕組みを制度化する。匿名での意見収集システム、外部相談窓口の設置、さらには「悪魔の代弁者」として意図的に反対意見を述べる役職を設けることで、組織の自浄作用を促進する。ホーナーが批判を封殺したような状況を防ぐには、異論を歓迎する文化と制度が不可欠だ。
⑤ 「段階的権限移譲と継承システム」──個人依存からの脱却
特定の個人に権力が集中することを防ぐため、段階的な権限移譲と責任分散を図る。レッドブルのように「フェルスタッペン中心主義」が組織全体を支配する状況を避けるには、複数の意思決定者による合議制や、定期的な責任者交代システムを導入する。中小企業では、事業部制の導入や、若手管理職への段階的権限移譲プログラムが効果的だ。

〇破壊ではなく「建設的変革」の道を選ぶ
クリスチャン・ホーナーの解雇は、20年間の輝かしい成功の終わりを告げる出来事だった。しかし同時に、それは「経営者の追放」という破壊的手段でしか問題を解決できなかった組織の限界を示している。
レッドブルの教訓は、問題が表面化してから対処するのではなく、問題を生み出す構造そのものを事前に変革することの重要性を教えている。ホーナーがシステムを作り、維持し続けたのは事実だが、そのシステムが組織にとって有害だと判明した時点で、建設的な変革の道を選ぶべきだった。
中小企業の経営者にとって、自分が築き上げた組織や手法に対する愛着は理解できる。しかし、その愛着が組織の健全性を損なう結果を招いているなら、勇気を持って変革に取り組む必要がある。重要なのは、「自分の失敗を認める」ことではなく、「組織の未来のために最善の選択をする」ことである。
透明性の制度化、評価基準の統一、リソース配分の可視化、批判意見の保護、権限の分散──これらの仕組みを導入することで、個人の資質に依存しない健全な組織運営が可能になる。レッドブルが「破壊的な変革」を余儀なくされる前に、自ら「建設的な変革」を選択する。それこそが、持続可能な組織づくりの本質なのである。
組織の問題は、経営者個人の問題ではなく、システムの問題として捉える。そして、そのシステムを改善することで、経営者も現場も、そして組織全体が共に成長できる道を見つける。レッドブルの轍を踏まないために、今こそ建設的な変革への第一歩を踏み出す時である。




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