top of page


五月病は「個人の弱さ」ではない― 組織のゲーム設計を問い直す時が来た
毎年五月になると、人事部門には同じ相談が舞い込む。 「先月まで元気だった若手が突然無気力に」「理由も告げず退職届が届いた」――。 五月病という言葉は半世紀近く使われてきたのに、いまだに解決されていない。 その理由は、ずっと「個人の問題」として扱い続けてきたからだ。 〇五月病の正体は「緊張と弛緩のサイクル」 四月に入社・入学した人たちは、新しい環境への適応で強い緊張状態が続く。そこにゴールデンウィークという長期休暇が来ると、緊張の糸がほどける。このとき、それまで蓄積してきた疲労が一気に表面化する。これが五月病の正体だ。 本人には「なぜ休んでいるのに辛いのか」と映り、復帰後はさらに気力を失う。医学的には「適応疲労」に近い現象で、頑張った反動ではなく、疲れが「可視化されるタイミング」と理解するほうが正確だ。 💡 予兆は出ている、ただ見えにくいだけ 休日に趣味への意欲がなくなる、返信が遅くなる、月曜だけでなく毎日憂鬱感が続く、ミスが増える――これらが2〜3週間続いていたら要注意。「突然」に見えるのは、本人も「疲れているだけ」と自己解釈して限界まで隠して
吉田 薫
5 日前読了時間: 5分


あなたの会社を壊すのは「悪人」ではなく「善人」かもしれない――北越高校バス事故が中小企業経営者に突きつけた不都合な真実
2026年5月6日、福島県の磐越自動車道で一人の高校生が命を落とした。 北越高校(新潟市)の男子ソフトテニス部が遠征に向かう途中、乗っていたマイクロバスが右カーブでガードレールに激突し大破。生徒20名が乗車しており、1名が死亡、複数名が重傷を負った。 報道が進むにつれ、事故の背景に「白バス行為」の疑いが浮上した。手配されたバスは第二種免許を持たない運転手が運転する白ナンバーのレンタカーであり、道路運送法が禁じる違法運送にあたる可能性がある。北越高校とバス会社「蒲原鉄道」の間では説明が食い違い、書面契約も存在しなかった。 マスコミは「誰が悪いのか」を追いかけた。しかし私は、この事故の本当の恐ろしさはそこにはないと考えている。 最も危険なのは、この事故に関わった全員が「善意で動いていた」可能性が高いことだ。 〇善意が揃った瞬間、組織は無防備になる 少し想像してほしい。 部活顧問は言ったかもしれない。「生徒に一つでも多くの遠征経験を与えたい。でも予算が足りない。なんとかならないか」と。 蒲原鉄道の営業担当は応えたかもしれない。「長年お世話になっている学
吉田 薫
5月19日読了時間: 6分


「“もう任せられる人だから”が、モチベーションを下げるとき」― 主観と事実のズレが生む、“先輩ポジション”社員の見えざる能率低下 ―
4月は、新しい人材を迎え、組織が動き出す季節です。多くの企業では、新入社員や異動者への支援に意識が向きます。 一方で、その変化を現場で支えているのが、役職のつかない“先輩ポジション”の存在です。新人にとって最も身近で、業務だけでなく組織の流儀を教えてくれるキーパーソン。 しかしこの層に今、静かなモチベーション低下が起きやすいことは、あまり注目されていません。そして、彼らの状態が、新人の安心感や定着にも影響する点は見過ごせません。 ■ 「任せているつもり」が生む、関係性のズレ 先輩ポジション社員は、次のような状況に置かれやすい存在です。 新人対応は正式な業務ではなく、暗黙のうちに期待されることが多い 業務は「一人でできて当たり前」と見なされる、あるいはそう感じやすい 上司や組織としては、 「もうある程度は任せられるから、あえて細かく見ない」 「困れば相談してくるはずだから、過度に声はかけない」 という“信頼”のつもりの関わりであっても、 受け手にとっては、 「関わりが減る=期待されていないのでは」 「相談すると、仕事ができないヤツだと思われるのでは
AKI IMAIZUMI
4月2日読了時間: 5分


「うちは特殊だから」が会社を殺す~倒産寸前のポルシェを救った「当たり前」の改革 ~
〇日本の製造業にも、まだ希望はある 1992年10月、ドイツ・シュトゥットガルト郊外。ポルシェ本社工場の駐車場は、ガラガラだった。「かつては満車で路上駐車が溢れていたのに。駐車スペースの3分の2が空いている」と、当時を知る関係者は語る。レイオフで人が減り、ラインは止まり、在庫の山が工場を埋め尽くしていた。 56歳のマイスター(職人)、ハンス・シュミット(仮名)は、空冷エンジンの前に立っていた。40年の経験で磨かれた手は迷いなく動くが、その目には誇りはなかった。「このエンジンを組み立てても、売れるのか?」 28歳の若手エンジニア、マルティン(仮名)が声をかけた。 「この工程、マニュアル化できませんか?」。 ハンスは答えた。 「 見て覚えろ。それが伝統だ。うちは特殊なんだ。トヨタとは違う 」 少し離れたところで、この会話を見ていた男がいた。3ヶ月後にCEOとなるヴェンデリン・ヴィーデキング。彼は手帳にメモした。「 この会社、あと2年で死ぬ 」と。 〇絶望の数字が語る現実 当時のポルシェの状況は、壊滅的だった。年間販売14,362台。6年前の5万台から
吉田 薫
2月16日読了時間: 8分
