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「うちは特殊だから」が会社を殺す~倒産寸前のポルシェを救った「当たり前」の改革 ~

〇日本の製造業にも、まだ希望はある

1992年10月、ドイツ・シュトゥットガルト郊外。ポルシェ本社工場の駐車場は、ガラガラだった。「かつては満車で路上駐車が溢れていたのに。駐車スペースの3分の2が空いている」と、当時を知る関係者は語る。レイオフで人が減り、ラインは止まり、在庫の山が工場を埋め尽くしていた。

56歳のマイスター(職人)、ハンス・シュミット(仮名)は、空冷エンジンの前に立っていた。40年の経験で磨かれた手は迷いなく動くが、その目には誇りはなかった。「このエンジンを組み立てても、売れるのか?」

28歳の若手エンジニア、マルティン(仮名)が声をかけた。

「この工程、マニュアル化できませんか?」。

ハンスは答えた。

見て覚えろ。それが伝統だ。うちは特殊なんだ。トヨタとは違う

少し離れたところで、この会話を見ていた男がいた。3ヶ月後にCEOとなるヴェンデリン・ヴィーデキング。彼は手帳にメモした。「この会社、あと2年で死ぬ」と。


〇絶望の数字が語る現実

当時のポルシェの状況は、壊滅的だった。年間販売14,362台。6年前の5万台から3分の1に激減。営業損失は約4,000万ドル。一台作るのにトヨタの3倍の時間がかかり、工場には3ヶ月分の在庫が積み上がっていた。

何より深刻だったのは評判の悪化だった。1990年、米自動車専門誌は「ポルシェ911は、よく壊れる。エアコンは効かない。高いだけ」と酷評した。

問題の本質は、品質のバラつきだった。ベテラン職人が組み立てた911は完璧だが、若手が作るとトラブル続き。同じ設計図、同じ部品なのに、完成品は別物。カリフォルニアの実業家ジョン(仮名)が1990年に買った911は素晴らしかった。友人に勧め、友人も同じモデルを購入。しかし友人の車はトラブル続き。「もう二度とポルシェなんか買わない

なぜこうなったのか。理由は「誰が作るか」で品質が全く違ったからだ。工業製品としてあり得ない状態。しかしポルシェは言い続けた。「うちは特殊だから」「職人の技が必要だから」「マニュアルなんて無理」

結果、客は離れた。残ったのは「空冷エンジンこそ本物」という一部のマニアだけ。新規顧客はほぼゼロだった。


〇これは、今の日本の製造業だ

ここまで読んで、心当たりはないだろうか?

60代のベテラン職人が技術の核。しかし、その技術は彼らの頭の中にしかない。「見て覚えろ」が伝統。若手は10年かけて習得するが、10年も待てない。3年で辞める。品質は「職人の腕次第」で、同じ図面でも仕上がりが違う。顧客は昔からの付き合いだけ。

ある金属加工会社(従業員50名)。60代のベテラン3名が会社の技術の核だが、5年後には全員引退。マニュアルはない。若手は育たない。顧客からのクレームが増え、「あの会社は当たり外れが大きい」という評判が広がっている。

老舗の和菓子店(創業100年)。70代の職人が手作りするが、あと5年で引退。後継者なし。「俺の技は10年かかる」。若手は来ない。顧客は高齢者だけ。

1992年のポルシェと、全く同じだ。


〇新社長の「まさかの決断」

1993年1月、ヴィーデキングがCEO就任。初日の会議で「このままだと2年で倒産」と宣言。そして、トヨタの工場の写真を映した。「我々は、トヨタに学ぶ

会議室は騒然となった。「カローラ作っているところから何を?」「我々はポルシェだぞ!」。しかしヴィーデキングは静かに答えた。「プライドで、飯は食えない」

4ヶ月後、ヴィーデキングは幹部10名を連れて愛知県豊田市へ。トヨタの工場で彼らが見たのは「別世界」だった。

部品在庫がほとんどない。「ここです」と案内されたのは、ライン脇の数時間分の部品だけ。「我々は3ヶ月分持っているぞ…」。トヨタの担当者は答えた。「在庫は悪です。問題を隠しますから」

次の衝撃。作業員が問題を見つけてライン全停止。ポルシェ幹部は「なぜ止めるんだ!」とパニックになった。しかし5分後に問題解決、ライン再開。そして上司が作業員に「よくやった」と声をかけた。ポルシェでは、ラインを止めたら叱られる。トヨタでは、問題を流したら叱られる

そして最後の衝撃。各作業台に貼られた「標準作業票」。詳細な手順、写真、判断基準。「この紙を見れば、新人でもベテランと同じ品質で作業できます」

ヴィーデキングは理解した。これが、ポルシェに欠けているものだ。


〇ベテラン職人との対話

帰国後、ヴィーデキングは「トヨタ生産方式導入、全作業の標準化」を宣言した。マイスターたちは猛反発。「40年の技術を紙に書けって?」「うちは特殊なんだよ!」

1993年7月、ヴィーデキングは最も強く反発するハンスを個室に呼んだ。

「ハンス、10年後、あなたは引退している。その時、あなたの技術はどうなる?」

ハンスは黙った。

「あなたの40年の経験は素晴らしい。しかし、それがあなたの頭の中だけにあるなら—」

「あなたと共に、消える」

「マルティンがあなたのレベルになるまで何年かかる?」「…10年、いや15年」「その間、会社は待てるか?」

ヴィーデキングは窓の外のガラガラの駐車場を見た。「あなたは、会社が潰れても『伝統』を守りたいのか?それとも、『伝統』を変えてでも、会社を生き延びさせたいのか?」

長い沈黙の後、ヴィーデキングは続けた。「標準化は、あなたの技術を否定するのではない。永遠にするのだ。若手は3年で習得でき、残りの7年で、さらに高度な技術を磨ける。それが、本当の『伝統』ではないのか?」

3ヶ月後、ハンスは決断した。「俺の技術を文書化する。このままじゃ会社は死ぬ。俺の技術も一緒に死ぬ。それは嫌だ」


〇変革の実行と成果

1994年1月、最初の標準作業票が完成した。写真30枚、手順20ステップ。マルティンがそれを使って作業した結果、ハンスと同じ時間、同じ品質、ミスゼロ。「40年かけて覚えたこと、3ヶ月で伝わった。複雑だが、これでいいのかもしれない」とハンスは呟いた。

他のマイスターも協力し始めた。1995年末までに500枚以上の標準作業票が完成。効果はすぐに表れた。作業時間20%短縮、不良率半減、新人の習得期間が10年から3年へ。そして最も重要なこと—品質のバラつきが消えた。誰が作っても同じ品質。クレームが激減した。

同時に在庫を3ヶ月分から1週間分へ削減。「問題を見つけたら報告」という文化も根付いた。工場は完全に生まれ変わった。


〇製品の「民主化」

しかし製造だけでは足りなかった。製品そのものも変える必要があった。当時のポルシェは運転が極めて難しく、「ポルシェを運転できる」こと自体がステータスだった。これでは市場が限られる。

1989年、オートマチック採用。「ポルシェにAT?邪道!」と批判されたが、女性客・高齢者が増え、売上は伸びた。1998年、50年の伝統だった空冷エンジンを捨て水冷化。「裏切り者!」と言われたが、運転しやすくなり、さらに売れた。1996年、911の3分の2の価格で手頃なボクスター発売。「フレンドリーで運転しやすい」と好評で、初年度16,000台を販売。

共通するテーマは「民主化」。「選ばれし者の車」から「誰でも乗れる車」へ。これが市場を広げた。



〇失敗もあった—それでも諦めなかった

変革は完璧ではなかった。水冷化初期(1998-2007年前期)、エンジントラブルが多発。発生率8-10%、修理代200万円。「やっぱり空冷の方が良かった」という声も。

しかしポルシェは問題を隠さず、改善し続けた。2007年後期にエンジン全面改良、2009年に問題ほぼ解消、2012年に完璧に。10年以上かかったが、諦めなかった。

興味深いのは、AT(メルセデス製)はほとんど壊れなかったこと。ポルシェにATのノウハウがなかったため、素直にメルセデスから調達した。結果、故障率は極めて低かった。「外部の力を借りる勇気」が正解だった。


〇驚異の成果—そして希望

結果は驚異的だった。

  • 1992年:14,362台 → 2018年:256,255台(17倍)

  • JDパワー品質調査:プレミアムブランド1位

  • 営業利益率:16.6%(トヨタ8.9%、BMW7.2%を超える)

「よく壊れる」と言われたポルシェが、今や世界トップの品質。トヨタから学んだポルシェが、トヨタを超えた。

そして最も重要なこと—ポルシェは生き残った。1992年、あと2年で倒産。2026年、世界一のスポーツカーメーカー。


〇地方の製造業にも、できる

ポルシェがやったことは、特別なことではない。

  1. トップが覚悟を決めた—「変わらなければ死ぬ」と明確に

  2. ベテランを味方にした—「技術を永遠にする」という位置づけ

  3. 段階的に実行した—一つの業務から始めた

  4. 外部の力を借りた—プライドより現実を選んだ

  5. 失敗を恐れなかった—10年以上改善し続けた


岐阜県の老舗醤油蔵(創業120年)。「うちの味は特殊だから」と言っていたが、実は温度と時間の管理を徹底すれば誰でも同じ味を出せることが判明。標準化後、若手杜氏が育ち、新商品開発も加速。今では海外輸出も始めている。


〇「うちは特殊だから」をやめる勇気

変わることは、痛い。ポルシェも古参ファンを失い、伝統を捨て、失敗もした。

しかし、変わらなければ死ぬ。変われば生き残れる。そして成長できる。

2010年、ハンス・シュミットは65歳で引退した。最後の日、工場長になったマルティンが言った。「あなたの技術は標準作業書に残りました。そして僕たちが改良しました」

ハンスは笑った。「最初は反対だった。『伝統を壊す』と思った。でも間違っていた。伝統とは『変わらないこと』ではない。『進化し続けること』だ。標準化は技術を殺さなかった。むしろ永遠にした」

ハンスは満車の駐車場と活気溢れる工場を見回した。「俺たちは変わった。そして生き残った。それでいいんだ」


〇日本の製造業へ—まだ間に合う

1992年のポルシェは、今の日本の地方製造業と同じだった。「うちは特殊だから」「職人の技が必要だから」「マニュアル化なんて無理」。

しかしポルシェは変われた。50年の伝統があっても、変われた。

あなたの会社も変われる。

必要なのは、3つだけ。

  1. 「うちは特殊だから」という言い訳をやめる勇気

  2. 外部の知恵を借りる謙虚さ

  3. 失敗しても改善し続ける根気

ポルシェが証明した。倒産寸前の町工場でも、世界一になれる。

日本の地方製造業にも、まだ希望はある。

執筆:吉田 薫(K&A Project LLC 代表)DX・組織開発コンサルタント

中小企業の「変われない」を「変われる」に。全国の製造業を支援中。


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