F1チームの崩壊に学ぶ──創業者なき中小企業が陥る『静かな崩壊』
- 吉田 薫
- 7月1日
- 読了時間: 8分

☆F1という"異世界"に起きた異変
ブラッド・ピット主演の映画『F1』が話題を集める裏側で、現実のF1界では衝撃的な"実話"が進行している。2023年には史上最も支配的なシーズンを送り、ほぼ全ての勝利を手にしたレッドブル・レーシングが、2024年に突然の失速を見せたのだ。
かつて絶対王者として君臨したチームが、なぜ一年足らずでその地位を失ったのか。この現象は、実は地方の中小製造業でも頻繁に見られる構図と驚くほど酷似している。創業者なき組織の迷走、技術者の流出、現場の混乱──F1という華やかな世界で起きている問題は、まさに多くの中小企業が直面する「静かな崩壊」の縮図なのである。
★「勝てた組織」が、なぜ突然"勝てない組織"になるのか
レッドブル・レーシングの失速には、複数の要因が複合的に絡み合っている。まず見逃せないのが、2022年に創業者ディートリッヒ・マテシッツが亡くなった後の組織的混乱だ。強烈なカリスマ性で組織を統率していた創業者を失った後、経営陣の間で主導権争いが表面化し、現場を見渡せるリーダーシップが不在となった。
さらに決定的だったのが、技術陣の大量流出である。F1界の伝説的デザイナーであるエイドリアン・ニューウェイの2024年退団発表に先立ち、2023年5月にはロブ・マーシャルがマクラーレンへの移籍を発表し、チーフデザイナーとして2024年シーズンにマクラーレンの26年ぶりのコンストラクターズチャンピオンシップ獲得に貢献した。続いて2024年8月にはスポーティングディレクターのジョナサン・ウィートリーもアウディのチームプリンシパルとして移籍することが発表された。
この人材流出は単なる個人の転職ではない。レッドブルで培われた技術とノウハウが、直接的にライバルチームの競争力向上に寄与する構図が生まれたのだ。マーシャルが手がけたマクラーレンの躍進は、まさにレッドブルの技術的優位性が他チームに移転した結果と言える。
この技術的な劣化は、マシンの性格そのものに現れている。2022年から2023年にかけて、レッドブルのマシンは「まるでラグジュアリーカーのような安定性」と称賛され、ドライバーが安心して限界まで攻められる理想的な特性を持っていた。しかし現在では、ドライバーたちが「乗りづらい」「感覚がつかめない」とこぼすマシンに変貌している。
これは単なる設定の問題ではない。組織の技術継承に失敗した結果、「なぜあのマシンが作れたのか」という根本的なノウハウが失われ、同じレベルの車体を再現できなくなったことを意味している。つまり、表面的には勝ち続けていたものの、組織内部では既に「静かな崩壊」が進行し、その技術的な蓄積が競合他社の強化に直結していたのである。
★現場の"被害者"たち
この組織的混乱の最大の被害者は、現場で働く人々だった。セルジオ・ペレスは変化したマシンの特性に適応できず、シーズン途中での契約解除という形で組織から排除された。続いてリアム・ローソンが昇格したものの、問題の根本的解決には至らず、現在は角田裕毅が同様の困難に直面している。
さらに深刻なのは、ジョナサン・ウィートリーの離脱後に明らかになったチーム運営能力の低下である。かつて「F1最強の戦略チーム」と称されたレッドブルで、ピットストップのミスが連発し、レース戦略の判断ミスによって本来獲得できたはずの順位を失うケースが頻発するようになった。これまで当然のように機能していたチーム運営の基盤が、キーパーソンの離脱によって一気に崩れたのである。
しかし重要なのは、これらのドライバーの成績不振が個人の能力不足に起因するものではないということだ。レッドブルのマシンそのものが、以前のような「ラグジュアリーカーのような安定性」を失い、ドライバーが「乗りづらい」「感覚がつかめない」と訴える特性に変化していたのである。ペレス自身が語ったように、組織上層部の技術的混乱と運営能力の低下のしわ寄せが、現場で実際にパフォーマンスを求められるドライバーに集中した構図だった。
戦略のブレ、責任の転嫁、明確なリーダーシップの不在──これらすべてが「ドライバーの責任」として処理される矛盾こそが、レッドブル組織の機能不全を象徴している。角田裕毅のような若手は、本来の実力を発揮する機会を奪われながらも、結果責任だけは背負わされる理不尽な状況に置かれているのである。

★これは中小企業でも起こる
レッドブル・レーシングで起きた現象は、地方の中小製造業でも日常的に見られる光景である。創業者が築き上げた技術力と組織文化を持つ企業が、その創業者の死後、似たような軌道を辿るケースは枚挙にいとまがない。
「創業者の死後」「内部での主導権争い」「核となる技術者の流出」「事業戦略の迷走」──これらが同時多発的に発生することで、かつて地域で高い評価を得ていた企業が急速に競争力を失っていく。さらに深刻なのは、流出した技術者が競合他社に移籍し、そこで培った技術とノウハウを活用することで、元の会社の競争優位を直接的に脅かす構図である。
レッドブルからマクラーレンに移ったマーシャルの成功が示すように、中小企業においても熟練技術者の転職は単なる人材の移動ではない。それは技術的優位性そのものの移転を意味し、競合他社の急速な成長と自社の相対的な地位低下を同時にもたらす。
加えて、外部パートナーからの信頼失墜も深刻な問題となる。レッドブルがホンダとの2026年以降のパートナーシップを失い、ホンダがアストンマーティンとの新たな契約を選択したように、中小企業でも長年の取引先や技術提携先が他社との関係を優先するケースが増加している。社内政治に明け暮れる管理職層の下で、現場の技能者や若手社員がメンタルヘルスの問題を抱え、成績不振の責任をすべて現場に押し付ける構造は、さらなる悪循環を生み出している。
★見えない兆候を見逃すな
レッドブル・レーシングの事例で最も教訓的なのは、表面的な成功の裏で「静かな崩壊」が進行していたことだ。2023年のシーズン中、チームは圧倒的な勝利を重ねていたが、その裏でF1のコストキャップや研究制限といった新しい制約への適応に苦慮していた。
中小企業においても、売上や利益が好調な時期にこそ、組織の基盤となる部分の点検が必要だ。創業者が一人で抱えていた判断基準や品質管理のノウハウ、取引先との関係性の構築方法──これらが適切に次世代に移転されているかを確認しなければならない。
経営指標だけでは見えない「現場の士気」「技術継承の進捗」「組織内コミュニケーションの質」といった要素にこそ、企業の未来が左右される。表面的な好業績に安住せず、組織の深層部で何が起きているかを継続的に把握することが重要である。
【提言】"レッドブル化"を防ぐために必要な3つのこと
① 技術・文化の継承に「時間」をかける覚悟を
F1のような高度な技術開発においても、製造業の現場においても、真の技術継承には長期間の密接な協力関係が不可欠である。短期的な効率性を追求するあまり、継承プロセスを軽視してはならない。創業者や熟練技術者が現役のうちから、体系的な知識移転プログラムを開始し、十分な時間をかけて次世代を育成する必要がある。
② 主導権争いではなく「共有知」を中心に据えた経営へ
組織のトップが不在になった際、個人の権力争いではなく、組織全体の知識とノウハウを共有し、活用することに焦点を当てるべきである。レッドブルでは経営陣の確執が技術開発の足を引っ張ったが、中小企業では「誰が社長になるか」よりも「会社の技術と文化をどう維持・発展させるか」を優先した承継計画が必要だ。
③ 現場を支え、現場に敬意を払うリーダーシップ
組織の上層部の混乱が現場にしわ寄せされることは、短期的には組織の機能を維持できても、中長期的には優秀な人材の流出と組織全体のパフォーマンス低下を招く。レッドブルでペレス、ローソン、そして現在の角田が直面しているように、構造的な問題の責任を現場の個人に転嫁する組織運営は持続可能ではない。
現場で実際に価値を生み出している人々を保護し、彼らが最大限の力を発揮できる環境を整備することが、真のリーダーシップである。問題の原因を正確に把握し、適切な解決策を講じることなく、結果責任だけを現場に押し付ける組織は、最終的に人材の信頼と競争力の両方を失うことになる。
☆「勝っていた過去」に甘えるな
「あの時は良かった」という懐古主義では、変化の激しい現代において組織は未来を切り開けない。レッドブル・レーシングは圧倒的な成功の絶頂期にあっても、組織内部では既に次の時代への準備不足が露呈していた。
中小企業の経営者には、現在の業績に満足することなく、常に組織の深層部で起きている変化に目を向ける姿勢が求められる。見えない綻びを早期に発見し、対処することで「静かな崩壊」を防ぎ、持続可能な組織づくりを実現する。それこそが、創業者なき時代を生き抜く中小企業に求められる「静かな再建」の道なのである。
F1という華やかな世界の出来事は、決して他人事ではない。今こそ自社の組織を見つめ直し、将来への備えを始める時である。
Comments